少年サッカー素晴らしい夫婦。
神2です。
このブログで私がよく謳っている [親は見守るのみ] という言葉があるのですが、それだけじゃないなって事を思わさせてくれる夫婦がいます。
勿論、私自身、見守る事に関して肯定派なのでぶれる事はないのですが、今日はそんな例外な夫婦の話。
まず、その夫婦の子どもは私の長男(四年生)のひとつ上の五年生。 人見知りなく愛嬌があり、その子の周りには自然と人が集まるような人気者です。
現在、五年生チームではエースでキャプテンを務め、トレセンのU-11でも中心的存在な将来有望な選手。
まさに私の息子や下級生の親からすると憧れの存在です。
しかし、そこに至るまでの経緯というのはまさに親の存在にあるというのを実感できるような、稀な夫婦だと思うイズムがそこにはありました。
それは私が謳っている[見守る]の正反対の
[やらせる]です。
その選手を初めて見たのは2年生の冬。
移籍してきて初日から皆と、とけ込んでいて、思わず一学年下の長男の親である私は今まで休んでたのかなと思わすぐらいのとけ込み様々。
実力的にはまぁ普通だなといった印象でした。
しかし、四年生になった春ぐらい(約一年後)彼は驚くほどの成長を見せてくれます。
1年前はチームの中心とは言えずまだまだ上手い子は沢山いた中で一年後にはチームメイト全員を追い抜きました。
そこで私はその子の父親に聞きます。
私「練習以外でなんかやっています?」
相手「はい。足元を鍛える専門のスクールに行ってます。」
ここまでは私の想像通りの答えが返りました。
やはりなと思っていましたがその子の父親は更にこんなことも。
「入団した当初は周りの足元のレベルの高さに驚かされた。まずそこを養う必要がありました」と。
うんうん、なるほど。
更に「リフティングなんかは目標数を達成するまで泣いてもやめさしませんでしたよ。」と。
うーん、なかなか厳しいなぁと内心。
しかし、それだけではチームのトップ、ましてや地域のトップになれるとは思いません。
ましてや、無理矢理やらせても嫌になるだけじゃないのかと私なら思ってしまいます。
しかし、それが成立するのはお互いが真剣に向き合っている証拠。
その子の母親は「この子は言わないと本当に何にもしないから言ってやらせる方針です!」とキッパリ言います。
何も言わなかったらこのレベルになっていないとも言っていました。
親も真剣になれば、子どもも真剣になる。
それは自分の子どもの特徴をしっかりと理解した上での行動。
もしその子の特徴がそうでないならまた別の方法を考えたのだろうとも思い感心します。
父親も熱心にYouTubeや本でたくさん勉強して親子で自主練習にも取り組んでいて、苦手の克服を先行して弱点を減らす練習。
その他、特徴を最大限に伸ばすための自宅での体幹トレーニングやボールタッチを工夫した練習も行っています。
その夫婦が素晴らしいのは息子のサッカーを中心に生活し、練習でもスクールでも試合でも二人揃って熱心に見守ってもいます。
それにはもうひとつ理由があるそうです。
ガンガン言い過ぎてしまう父親に対しその息子のフォローをするのは私という母親の考え。
母親がその場に居なければズタズタにされるのでしょう。
《やらせる》と《見守る》が絶妙のバランスで取り持つその家庭ならではの色がそこにはあります。
まさに家族のボランチ的存在の母。
父親はコアサポーターといった所でしょうか。
ガンガン言っている親や般若みたいな顔で試合を見つめている親はどこにでもいます。
このような話はあるあるなのですが、この家庭は厳しさと愛情の両面を絶妙に調和させている稀な家族だと私は思うのです。
ガンガンやらせる→サッカーが好きでも嫌になる。
ガンガン怒る→親の顔色を伺いながらプレー。
よくある話ですが、それプラス
父親と自主練習→真剣に考えてくれている。嬉しい。楽しい。
夫婦揃って観戦→いつもありがとう。
とこのように厳しさだけではありませんよね。
例えば、休日の試合だけ見て、子どもの不甲斐なさにガンガン言っているだけならその子の伸びしろは減ることでしょう。
ですが、この父親は仕事で疲れた体に鞭をうち、息子の自主練習に時間を割いています。
ガンガン言っているだけではないのです。
厳しさの中にもそこには愛がありますね。
でないと、普通は嫌になりますよ。
飴と鞭ではないですが、そこがしっかりしているからこの家族は素晴らしいと思います。
厳しさ故に、一生懸命な子ども。
それはそれで素晴らしいですが、これだけなら感謝の気持ちは持つことはないと思います。
そこに愛情を子ども自身が感じるから感謝の気持ちが生まれるものだと思います。
何事も感謝の気持ちを持てる子は絶対に伸びます。
人よりストイックになれるのですから。
親子三人四脚の話でした。
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